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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)10641号 判決

原告 第10641号事件 株式会社愛誠堂

第575号事件 クラヤ薬品株式会社

第576号事件 株式会社東京堂千本木商店

第884号事件 日新薬業株式会社

第3996号事件 三和繊維工業株式会社

第10790号事件 株式会社明治屋

外一名

被告 国

訴訟代理人 河津圭一 外二名

主文

(一)、被告国は、

(1)、原告クラヤ薬品株式会社に対し金七三五万円およびこれに対する昭和三八年二月八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、

(2)、原告株式会社東京堂千本木商店に対し金一三六万円およびこれに対する昭和三八年二月三日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、

(3)、原告日新薬業株式会社に対し金六六二万円およびこれに対する昭和三八年二月一四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、

(4)、原告小里薬品株式会社に対し金一九二万円およびこれに対する昭和三八年二月一四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、

(5)、原告株式会社愛誠堂に対し金七七万円およびこれに対する昭和三八年二月二一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、

(6)、原告三和繊維工業株式会社に対し金三三五万円およびこれに対する昭和三八年六月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、

(7)、原告株式会社明治屋に対し金八三万円およびこれに対する昭和三八年一二月二六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払うこと。

(二)、原告らのその余の請求は棄却する。

(三)、訴訟費用中、証人諸星光一に給した日当(一度分)は原告株式会社東京堂千本木商店の負担とし、その余はすべて被告の負担とする。

事実

以下の記載においては、原告クラヤ薬品株式会社を「原告クラヤ薬品」、原告株式会社東京堂千本木商店を「原告東京堂」、原告日新薬業株式会社を「原告日新薬業」、原告小里薬品株式会社を「原告小里薬品」、原告株式会社愛誠堂を「原告愛誠堂」、原告三和繊維工業株式会社を「原告三和繊維」、原告株式会社明治屋を「原告明治屋」とそれぞれ略称する。

第一(双方の求める裁判)

一、(原告ら)

原告クラヤ薬品の訴訟代理人は、「被告は同原告に対し金一、一〇一万六、八五〇円およびこれに対する昭和三八年二月八日以降右金員完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を、

原告東京堂の訴訟代理人は、「被告は同原告に対し金四〇九万八、六四八円およびこれに対する昭和三八年二月三日以降右金員完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を、

原告日新薬業の訴訟代理人は、「被告は同原告に対し金九九三万一、〇八九円およびこれに対する昭和三八年二月一四日以降右金員完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を、

原告小里薬品の訴訟代理人は、「被告は同原告に対し金二八八万八、〇〇五円およびこれに対する昭和三八年二月一四日以降右金員完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を、

原告愛誠堂の訴訟代理人は、「被告は同原告に対し金一一五万五、八三五円およびこれに対する昭和三八年二月二一日以降右金員完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を、

原告三和繊維の訴訟代理人は、「被告は同原告に対し金五〇三万四、九五〇円およびこれに対する昭和三八年六月六日以降右金員完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を、

原告明治屋の訴訟代理人は、「被告は同原告に対し金一二五万八、七四五円およびこれに対する昭和三八年一二月二六日以降右金員完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を、

それぞれ求めた。

二、(被告)

被告指定代理人は、「原告らの請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、(原告らの請求原因)

一、(原告らと東京地方裁判所職員中沢由光との間になされた取引、および本件請求原因の骨子)

(一)  原告クラヤ薬品、同日新薬業、同小里薬品はいずれも医薬品の販売を、原告東京堂は化粧品、雑貨等の販売を、原告愛誠堂は医薬品、化粧品等の販売を、原告三和繊維はメリヤス衣料品等の製造販売を、原告明治屋は食料品等の販売を、それぞれ業とする会社である。

(二)  原告らはいずれも昭和三七年中、当時東京地方裁判所事務局人事課能率係(以下単に「能率係」と呼ぶことがある)係長であつた裁判所事務官訴外中沢由光との間に、それぞれ、納入物品の種類、数量、納入時期、納入場所は能率係の指示(発注)によること、代金の支払は、原告クラヤ薬品については毎月末日締切翌月末払、原告東京堂については毎月二〇日締切翌月二五日払、原告日新薬業、同小里薬品、同愛誠堂については毎月二〇日締切翌月末日払、原告三和繊維については毎月二〇日締切翌月五日払、原告明治屋については昭和三七年一一月末日東京地方裁判所経理課において支払うことの各約定で、医薬品、化粧品、衣料品、食料品等の販売納入契約を結び、爾後右中沢由光の発注、指示により、東京地方裁判所または最高裁判所構内(但し原告三和繊維の分は原告の店舗)において、中沢由光または同人の指示を受けた東京地方裁判所職員の検収により各物品を納入した。

その取引の日時、納入物品、約定代金、および未払代金の額等は次のとおりである。

表〈省略〉

(三)  しかして本件取引は、いずれも中沢由光がその職務に関し東京地方裁判所事務局人事課能率係長の名義をもつてしたものであり、原告らは当時いずれも、中沢において被告を代理して右取引をする権限を有するものと信じていたところ、意外にも、後日に至り、中沢由光には右代理権のなかつた事実が判明した。

しかし後に述べるとおり被告国は、(1) 中沢がした本件取引につき民法一一〇条、一〇九条または商法二三条による表見代理ないし表示責任に基く契約履行の責任、または(2) 中沢のした本件取引による不法行為につき民法七一五条に基づく使用者としての損害賠償責任を負うべきであるから、原告らは被告に対し、本件契約に基く右売買代金の支払い、ないし不法行為に基づく右損害の賠償を選択的に、請求するものである。

二、(東京地方裁判所における中沢由光の職務権限)

(一)  東京地方裁判所は下級裁判所事務処理規則(昭和二三年最高裁判所規則第一六号)に基づき、事務局人事課に能率係を設置し、昭和二八年三月以来裁判所事務官訴外中沢由光を同係の係長としてその事務を統括させ、昭和三六年一一月以降は同裁判所新庁舎(本館)七階第七一八号室を能率係の室に充て、同所に同係の裁判所職員を配置した。

(二)  右能率係の職務としては、通達上、東京地方裁判所職員の(イ)考課に関する事項、(ロ)研修に関する事項、(ハ)保健及び元気回復その他能率増進に関する事項、を掌るものと定められているところ(昭和二九年六月一日最高裁総総第一四四号総務局長事務取扱依命通達)、同裁判所は、右職務の一部として、従来から能率係に対し、職員のレクリエーシヨンのための映画や運動場を同裁判所の名において借入れる権限を与えていたほか、さらに昭和三六年七月以来能率係が、職員の保健厚生に資する目的で同裁判所のため、医薬品・化粧品・雑貨等の購入ないしあつせん、右物品の保管および職員への配布、並びに職員からの代金徴収(特に職員給与からの控除)および業者への代金支払等をする事務を取扱わせていたもので、本件取引当時、右のような事務を行なうことは明らかに中沢の職務権限に属していたのである。

三、(本件取引がなされた経緯、状況)

(一)  (原告クラヤ薬品)

原告クラヤ薬品の営業部員会田進は、昭和三七年四月初旬、かねて同社と取引のあつた在京裁判所職員福祉対策協議会の役員であり、東京簡易裁判所職員である訴外後藤麟也から紹介されて、東京地裁への医薬品納入希望の目的で、前記能率係室において中沢に会つたところ、その際中沢から「能率係は裁判所職員の健康管理、能率増進等の事務を担当しており、右職務の一環として職員の保健向上のため、従来医薬品等を安価に購入し、職員に実費で配布している。価格は安くても官庁相手だから支払は確実であり、職員は東京地裁職員数千名のほか管内支部、簡裁等の職員も含むので相当まとまつた数量になる」旨の説明があり、かつ前掲請求原因一、(二)記載の条件による医薬品購入の申入れがあつた。右中沢の申入れは、社会的に信用の高い官庁の中でも最も信用の高い裁判所の名において、その能率係長の公の席で勤務時間中、他の職員も勤務する面前で公然となされたものであり、しかも当時能率係室には医薬品、粉末ジユース、およびこれらを陳列したシヨー・ケースが置かれてあり、中沢はこれらの物品も同様の趣旨で能率係が取扱つている旨説明したので、原告クラヤ薬品は裁判所自体が購入するものと信じて本件取引を開始するに至つたものである。

しかして本件契約成立後、同原告は、中沢または同人から事務補助者として紹介された裁判所職員訴外鈴木末義の、電話または口頭による発注により、能率係室において、または同人らの指示した最高裁判所、東京地裁の各倉庫において中沢または鈴木の検品により、物品を納入し、その代金は能率係室において中沢から「東京地方裁判所人事課能率係能率係長中沢由光」振出の三菱銀行宛小切手により支払を受けていたものである。この間会田は毎月八回ないし一〇回能率係室に出向き、中沢や鈴木から代金を受領し新注文を受け、或るいは雑談を交したが、これらはいずれも、その勤務時間中、他の職員の執務する面前で公然となされ、かつ会田は中沢と面談中裁判所職員が能率係から医薬品を購入していくのをしばしば現認しており、当時、本件取引が裁判所自体の行為でなくて中沢の不正行為に基くものであるというようなことは、夢想もできない状況であつた。

(二)  (原告東京堂)

原告東京堂の販売部長原田徹は昭和三七年七月中旬頃、かねて同社と取引のあつた全司法労働組合東京支部の副支部長兼厚生部長の裁判所書記官訴外佐藤純也から紹介を受け、能率係室において中沢に会い、能率係との取引の開始について話合つた。その際同人から「医薬品購入の責任者は私であるが多忙なので実際の発注、受渡、支払等は佐藤純也に私の補助者として担当させる」との申出があつた。次いで数日後原告東京堂の契約担当者須藤金之助営業部長が右佐藤と会い、中沢、原田間で話し合われた契約条件を確認した上、本件取引が開始されたものである。しかして能率係からの発注、検収、代金支払は右佐藤を通じて行われたのであるが、その間、同年八月二〇日能率係室において、中沢との間に本件継続的取引に関する契約書を取交わしているし、代金は、東京地方裁判所人事課能率係能率係長中沢由光振出名義の三菱銀行宛小切手により支払われた。以上のほか契約申入に当つての中沢の説明の趣旨、状況および能率係室の模様は原告クラヤ薬品主張のそれと同一であり、要するに中沢が原告東京堂との間にした本件各取引は、いずれもその当時、東京地方裁判所自体の行為と認める外ない状況にあつたものである。

(三)  (原告日新薬業および原告小里薬品)

原告日新薬業においては会社官庁相手の販売担当員である訴外海保茂行が、原告小里薬品においては同じく官庁関係の販売担当員であつた訴外綱川政一が、それぞれ能率係室において、直接、係長中沢由光に面会し医薬品の販売納入を申し入れたことから本件取引の開始をみるに至つた。しかして本件商品は、能率係室または裁判所庁舎のうち中沢ないしその補助者の指定した場所に納入したのであつて、このような大量の取引は、到底、中沢が単なる個人として行なつたものと解することはできない。また当初、代金は「東京地方裁判所人事課能率係能率係長中沢由光」振出の東京相互銀行銀座支店宛の小切手、三菱銀行日比谷支店宛の小切手または約束手形によつて支払われていた。以上のほか取引開始に当つての中沢の説明の趣旨、状況および能率係室の模様は原告クラヤ薬品主張のそれと同一であり、要するに、中沢が原告日新薬業、同小里薬品との間にした本件取引は、いずれもその当時、東京地方裁判所自体の行為と認めるの外ない状況であつた。

(四)  (原告愛誠堂)

原告愛誠堂の姉妹会社である訴外ゾーシン油脂株式会社は昭和三七年五月上旬頃から東京地裁職員に対し、能率係のあつせんで粉石鹸の納入販売をしていたところ、昭和三七年八月下旬頃右ゾーシン油脂の販売担当員であると同時に原告愛誠堂の社員でもあつた大畑欣一に対し、能率係室において中沢から医薬品購入の申入がなされ、次いで同年九月二日頃、同所で中沢から正式に能率係長の記名捺印のある注文書が交付され、本件取引が開始された。これより先、右大畑は、能率係室に医薬品等を陳列したシヨー・ケースが置かれ、同裁判所職員が能率係室に出入りして医薬品等を購入しているところを現認したことがあつたし、また本件取引に当つては、同年九月一二日の第一回納品の際大畑から中沢に対し前記注文書に東京地裁事務局長の捺印を求めたところ、局長不在の由でその捺印を受けることができず結局、同裁判所との継続的取引につき契約書を作成することとなつたが、中沢から「局長も課長も医薬品の購入は能率係の仕事として承認しているから係長たる自分の印でよいのではないか、不満であれば後で局長印をもらうから」との話があり、同月一九日に至り、中沢から契約書に「東京地方裁判所人事課能率係能率係長中沢由光」の記名捺印を受けた。その後中沢からの電話または注文書による発注を受け、能率係室または中沢の指示した同裁判所構内(倉庫等)において、中沢の検品により、受領書にはその都度中沢の受領印を受けて納品して来たものである。以上のほか取引申入れの際の中沢の説明の趣旨、状況および能率係室の模様は原告クラヤ薬品主張のそれと同一であり、本件取引が東京地方裁判所自体の取引であることを疑う余地はなかつたのである。

(五)  (原告三和繊維)

原告三和繊維の代表者笠原喜八は中沢由光と縁戚関係にあり、昭和三三年頃から二、三度能率係室に係長である同人を訪問する等面識があつたが、昭和三七年一一月初め頃原告会社を訪れた中沢由光から裁判所職員に配給する純毛シヤツ、ズボン下類を納入して欲しい旨の申入を受けたことから本件取引が成立したものである。しかして右取引申入の際中沢は、前記原告クラヤ薬品との取引開始に当つて中沢が会田進に対してしたと同旨の説明をしたこと、中沢が裁判所という社会的に最も信用の高い官庁の係長の地位にあつたこと、右中沢の来訪は公務時間中であつたこと、数日後笠原が能率係室の中沢に見本が揃つた旨電話したところ、中沢は、直ちに原告会社を訪れ、「仕入については能率係に一任されているが、念のため上司に見本を見せ、相談の上、具体的に数量、納入方法を決めて来る」と告げた上、見本ならびに見積の伝票を持帰る等慎重な手続をとつていたこと、同月二〇日頃三たび中沢が原告会社を訪れ「東京地方裁判所事務局人事課能率係長中沢由光」の記名捺印のある発注書により注文を発したこと、かつ、取引開始後も十数回に及ぶ納品の都度原告会社から能率係室に電話連絡し(中沢以外の同係職員が右電話を中沢に取次いだこともある)、中沢または同人の指示により原告会社において商品が受渡しされ、受取書には中沢の印が押捺されていたこと。本件取引は以上の状況のもとでなされたものであり、それが東京地方裁判所自体の取引であることについては疑を入れる余地がなかつたものである。

(六)  (原告明治屋)

昭和三七年一〇月六日頃能率係長中沢から「裁判所能率係では諸物資を職員にあつせん販売しているが、乳製品の希望者が多いので貴社から購入したいから担当者に能率係まで出向いて欲しい」旨の電話があつた。そこで同月八日原告会社東京支店外商課第一係長関良雄および係員佐々木靖雄が能率係室に係長中沢由光を訪ね、種々説明を受け、契約条件等につき交渉した。次いで同月一九日、中沢が同裁判所書記官佐藤純也を伴い原告会社京橋ストアに来店し、佐藤を本件取引についての事務補助者である旨紹介した上、商品納入日、納入場所、代金支払の期日、および支払場所、並びに、納入先の宛名は東京地方裁判所とし、請求書は能率係宛提出すること等の契約条件を確認し、同日、中沢は原告会社に注文品一覧表を手交した。その後同月二四日、原告明治屋は前記佐藤純也等裁判所職員立会検品のもとに東京地方裁判所倉庫に注文品を納入したのである。元来原告会社は本件取引以前から最高裁判所、宮内庁等官庁との間に、本件と同様の形式で取引を順調に続けており、本件食料品は東京地方裁判所が購入するものであることについてなんら疑念を抱かなかつた。以上のほか、本件取引申入の際に中沢がした説明の趣旨、状況および能率係室の模様はクラヤ薬品主張のそれと同一である。

四、(表見代理ないし表示責任による被告の契約履行義務)

(一)、以上詳述した事実関係によれば本件取引は、要するに東京地方裁判所事務局人事課能率係の係長中沢由光が、被告国の機関である右裁判所の代理人としてした行為に外ならない。ところで後日に至り、右取引は、実は中沢らが専ら私利を図るためその地位を利用し原告らから商品を騙取する目的でした不正行為であつたことが判明した。しかし元来中沢は、前掲請求原因二の(二)記載のような、東京地方裁判所を代理すべき権限を付与されていたものであつて、本件取引はたまたまその権限を踰越してなされたものであるところ、本件取引の当時、原告らはいずれも、中沢が右裁判所を代理して本件取引をする権限を有し、右権限に基いて真実同裁判所のためにするものと信じていたのであり、かつ前掲請求原因三において詳述した本件取引の経緯、状況と対照するときは、原告らは右のように信ずるにつき正当の理由を有していたものというべきである。

それ故被告は、民法一一〇条の規定に従い、中沢のした本件取引につき、表見代理による契約履行の義務として原告らに対し約定代金を支払うべき義務がある。

(二)、仮りに本件取引につき民法一一〇条の適用がないとしても、東京地方裁判所は能率係長中沢由光に対し、前掲請求原因二記載のような職務権限を付与し、かつ中沢をして同項記載のような事務を取扱わせていたのであるから、これにより東京地方裁判所は、本件のような、保健厚生その他職員の能率増進に資する物品については、中沢に同裁判所の名をもつて購入し得る権限を付与した旨外部に表示したもの、または中沢に同裁判所の名義による右物品購入を許諾したものと認めるのが相当である。

したがつて被告は、中沢が同裁判所の名でした本件取引について、民法一〇九条または商法二三条の趣旨に従い、善意無過失の相手方である原告らに対し、表見代理ないし表示責任に基く契約履行の義務として、本件取引による約定代金を弁済すべき義務がある。

五、(民法七一五条による被告の損害賠償義務)

(一)  さらに本件取引は、一面においては、前記中沢由光が原告らに対してした不法行為であるといい得る。

すなわち、当時東京地方裁判所事務局人事課能率係長の地位にあつた中沢由光は、同裁判所職員の保健及び元気回復その他能率増進に関する事項等を取扱う職務権限を有していたのを奇貨として、真実は、なんら同裁判所が同裁判所職員のためにあつせん購入するものでないのに拘らず、原告らに対しあたかも同裁判所が職員のためあつせん購入するものであるかの如く装つて本件各物品の購入を申入れ、原告らをしてその旨誤信させ、因つて原告らから前掲請求原因一、記載のとおり本件各物品の納入を受けてこれを騙取し、その頃これを他に処分し、原告らをしてその所有権を喪失させ、その結果原告らに対し右請求原因一、記載にかかる本件各物品の未払代金額に相当する損害を加えたものである。

(二)  ところで中沢の右不法行為は、東京地方裁判所から前掲請求原因二の(二)記載の職務権限を与えられていた同人が、その地位を利用してなしたものであり、その行為は外形上、同人の職務と密接な関連を有するものであるから、本件不法行為は、中沢が同裁判所すなわち被告国の事業の執行につきなしたものというべきである。

それ故被告は、中沢の使用者として、民法七一五条に基き右損害を賠償すべき義務がある。

六、(原告ら主張の結論)

以上のとおりであるから、原告らは被告に対し、それぞれ(1) 本件取引に基く未払代金の支払義務、または(2) 中沢の不法行為に基く損害賠償義務の両者のうち、そのいずれかの履行を選択的に求めるため、前掲請求趣旨記載の各元本およびこれに対する本件代金の約定弁済期または不法行為の行われた後である、本件訴状送達の日の翌日(すなわちそれぞれ前掲請求趣旨に記載した日)以降右金員完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

第三、(被告国の答弁および主張)

一、(答弁)

請求原因一、の(一)は認める。(二)のうち、東京地裁事務局人事課能率係長であつた裁判所事務官中沢由光が原告ら主張の頃、原告らとの間に原告ら主張の数量、金額の物品購入契約をし、納入を受けたこと、その納入物品の未払代金額が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。中沢のした本件取引はすべて同人が個人としてしたもので、裁判所が取引をしたものではない。

請求原因二、のうち(一)は認める。(二)のうち、能率係が原告ら主張の通達により原告ら主張の(イ)、(ロ)、(ハ)の事務を分掌する旨定められており、右通達所定の事項を担当していたことは認めるが、その余の事実は否認する。中沢が裁判所を代理する権限を与えられた事実は全然なく、また職員のための物資の購入ないし購入あつせんのようなことは能率係の職務権限に属しないものである。尤も中沢が、さきに東京地方裁判所における上司の承認を得て昭和三六年七月頃以降四回にわたり、職員のための医薬品の購入方あつせんをした事実はあるが、右は単に中沢の個人としての資格に基いてなされたものにすぎない。

請求原因三、四、五、のうち中沢が本件取引当時能率係長であり、通達上同裁判所職員の保健及び元気回復その他能率増進に関する事務を分掌していたこと、中沢が原告らからその主張の物品を購入して納入を受け、未払代金があること、は認めるが、その余の事実は争う。

二、(被告の主張)

(一)  (能率係の職務権限について)

(1)  (能率係の分掌事項)

能率係の分掌事項は、原告ら主張の通達で定められた事項の範囲を出ないものである。しかしてその具体的な職務内容は、東京地方裁判所が右通達および国家予算の裏付けの範囲内で、能率係に処理を命じた事項に限られるのであつて、本件取引当時においては、1.一般職員の研修、2.職員の表彰、3.健康管理すなわち健康診断、予防接種、救急箱(薬)の管理等、4.レクリエーシヨン関係すなわち慰安会映画会等の企画実施、庁用運動具の購入の企画の樹立および右運動具の管理等の事務にすぎなかつた。

(2)  (裁判所の物資調達と中沢の権限)

およそ裁判所が物資を購入するについては、法令上、その契約は支出負担行為担当官等正規の支払負担行為担当者(会計法一三条、二九条の二)が締結するのであり、原則として競争契約(会計法二九条の三、予算決算及び会計令九九条)かつ契約書によつてなされ(同令一〇〇条の二)、契約書によらない場合においても見積書を徴して所定の決裁を履むこととされている。また代金の支払は予算の定める所に従い、支出官(会計法二四条)の振出す日本銀行を支払人とする小切手によるのであり、出納は出納官吏(会計法三八-四〇条)がするものとされているのであり、これらの手続は法規によつて公示され一般周知のことであるばかりでなく、実際にも、あらゆる官庁において多年実行されて来たところである。

しかして東京地方裁判所事務局人事課能率係関係の物資調達(例えば職員のレクリエーシヨンのための運動用具の購入)についていえば、能率係では、予め、毎会計年度頭初に示達される予算科目(例えば職員厚生費)の範囲内において年間の購入計画を立て、上司の決裁を受けておき、実際に購入すべき時期が来る毎に、用度課に所要の購入申請手続をとり、これに対し用度課では会計手続上必要な起案をし上司の決裁を得た上当該物資を購入検収してこれを人事課能率係に引渡すのであり、他方代金は出納課が支払う。以上が能率係関係の物資調達の正規の手続であつて、能率係または能率係長が裁判所のため自ら物資購入の契約をしたり、物品の検収、代金の支払をするが如きは、現行会計制度のもとにおいてはあり得ないことである。

なお上述のような正規の手続で能率係のため調達された物資(運動用具その他職員の保健厚生用の目的をもつて購入した物資)は、すべて裁判所の備品として職員の用に供されるか、あるいは職員のために無償で供給されるものであつて、仮りにも裁判所が職員に有償譲渡する目的をもつて物資の購入をして職員に売却するが如きは、国の予算制度上考えられないことである。

要するに前記通達の内容からしても、また国の予算、会計の制度上からしても、裁判所または裁判所職員のための物資購入ないし購入のあつせんが、能率係長たる中沢の職務権限に属しないことは極めて明らかである。

(3)  (嘗て中沢が上司の承認を得て物資のあつせんをした関係について)

尤も中沢はさきに昭和三六年七月から三七年六月までの間四回にわたり、上司の承認を得たうえ東京地裁職員のために回覧を用いて薬品購入のあつせんをし、その代金を現金または給与差引の方法により集金してこれを業者に支払つた事実があるけれども、これらはいずれも能率係長の職務としてしたものではなく、単なる個人の資格に基いてしたものにすぎない。

なるほど右回覧は、

(a) 三六年七月四日付綜合ビタミン剤(第一製薬株式会社または大羽商店の納入品)

(b) 三六年一〇月一一日付感冒薬(〃)

(c) 三七年五月一日付殺虫剤(〃)

(d) 三七年六月二八日付ビタミン剤(大羽、大森、田中各商店の納入品)

の購入のあつせんについてなされたものであつて、これについては先ず中沢が回覧の内容を起案し、その上司である東京地裁人事課長、同総務課長、同事務局長の各決裁印を受けているが(但し(c)(d)については局長不在につき代決)、右上司らの決裁は、単に中沢が右薬品のあつせんを個人として行なうのを承認する趣旨で与えられたものであつて、なんら中沢が公の能率係の職務としてこれらの行為をすることを承認した趣旨ではない。つまり前記中沢の上司らは、中沢が個人的に右のような薬品購入のあつせんをすること自体は、結果的に職員の保健、厚生のため益するところがあると考えたので、(イ)中沢が裁判所庁内(能率係室)において勤務時間中に個人的に右のようなあつせん行為をすること、および、(ロ)その旨を記載した書面を職員の回覧に付することの二点に関し、恰かも有志職員が回覧を廻して私的な部活動をする場合に上司が決裁を与える慣行になつているのと同様の意味で決裁を与えたものに外ならない。(前記回覧には、「能率係」の名称を用いているが、これは単に、中沢の連絡場所を表示した趣旨にすぎない。また右回覧には「代金は給与差引の方法により得る」旨の記載があるが、これはなんら出納課において法規に基く正規の給与控除手続をする趣旨ではなく、購入者本人の希望に基き庶務係が単に便宜上給与から集金する趣旨であつて、このような方法は一般に、職員の公的業務に属しない旅行会、研究会、同期会等の会費、または特定書物の個人的購入の場合の代金等の集金についても広く行なわれているところであつて、このような集金方法が採られたからといつて、これがため本来私的行動にすぎないものが一変して公的性質のものになるべきいわれはない)。

元来、右のような薬品あつせん行為は、共済組合のような職員の便益を図ることを目的とする団体ならば格別、裁判所の一部である能率係が公の職務として行なうようなことは到底考えられないところであり、前記のように中沢が上司承認のもとに薬品購入のあつせんをしたのは、あくまでも有志としての個人的行為にすぎず、要するに同人が裁判所のため契約の締結、物資購入のあつせん、代金支払等をする職務権限を与えられた事実は未だ嘗てないのである。

(二)  (原告らの請求原因四の表見代理ないし表示責任の主張に対する反駁)

中沢由光の職務権限は以上述べたとおりであつて、同人が表見代理の基本たるべきなんらかの代理権を付与されていた事実はなく、また東京地裁が、中沢に代理権を付与した旨を外部に表示したり、あるいは裁判所名義で物品を購入することを許諾したような事実もない。(中沢の上司が中沢に対し、前掲(一)の(3) 記載のような単に個人的有志活動としての薬品購入方のあつせん行為を承認した事実があつたからとて、これをもつて直ちに東京地裁が中沢に取引上の代理権を与える旨外部に表示したとか、あるいは裁判所名義で取引することを許諾したものであるというを得ないことは勿論である。)そればかりでなく、たとえ原告らが、本件取引は中沢が裁判所のためにするものと信じていたとしても、原告らがそう信じたことについては、後記(四)に記載するとおり過失がある。したがつて、本件取引について被告が民法一一〇条、一〇九条、または商法二三条による表見代理ないし表示責任に基き契約履行の義務を負う旨の原告らの主張は、いずれもその前提を欠くもので、理由がない。

(三)  (原告らの請求原因五の民法七一五条による使用者責任の主張に対する反駁)

前述のように能率係長中沢には、裁判所のために医薬品を購入することは勿論、職員の医薬品購入をあつせんする職務権限すらなかつたものであり、他面、職員のために有償譲渡する目的をもつて厚生物資を購入するが如きは、個人の有志活動ないし共済組合の事業としてなら格別、官庁である裁判所がこれを行うことは、国の予算制度上到底考えられないことである。したがつて、同人がたまたま原告らとの間に能率係(長)名義を冒用して本件取引をし、その際、詐欺的または横領的行為によつて原告らに損害を与えたとしても、右取引は外形上も同人の本来の職務と類型を一にする行為でもなければ、これと密接不可分な行為でもない。したがつて、同人の右行為は到底これをもつて同人の職務の執行につきなされたものとはいえず、これについて被告国に民法七一五条の責任を生ずべき理由はない。

(四)  (原告らの過失)

中沢が裁判所のために取引をするなんらの権限も有しないことは、裁判所の組織上明らかであり、かつ、そのことは何人も容易にこれを知り得るところである。(現に原告らの一部の者は、契約当初一旦中沢に対し、本件取引の契約書に、中沢の上司たる事務局長の調印を要求している事実があるが、そのことは少くとも同人らが、すでに当時、中沢の契約締結の権限について疑念を抱いていたことを示すものである)。しかして原告らは、本件取引の契約手続が粗略であること、中沢のした発注は実質上単なるあつせん行為であり、したがつて支払は職員から代金を集めた後に行なう約定になつていたこと等、本件取引が客観的に官庁の取引形態と趣を異にしている事実を認識しながら、巨額の取引を急ぐのあまり一係長を相手としてなんらその権限の確認をすることもなく、軽々しく中沢の言に乗ぜられ、本件取引を開始し、これを継続したものであつて、原告らには重大な過失があるというべきである。したがつて仮りに中沢のした不法行為につき、被告国に民法七一五条による損害賠償責任があるとしても、原告らの右重大な過失は、賠償額の算定上当然斟酌さるべきである。

第四、(被告の右主張に対する原告らの認否、反駁)

前掲第三の二記載にかかる被告の主張中、(一)の(1) および(2) のうち被告主張のような会計関係の法規の存在は認める。但し官庁相手の取引においては常に必ずしも契約書の作成が要求されていないのが実情であり、見積書の提出も法定されているわけではない。官庁における契約形式や支払方法は、一般通常人はもとより原告ら業者間においても必ずしも周知のものではなく、原告らのみが特にその知識を欠いたものとはいえない。その余の主張については、原告らの請求原因に抵触する部分は争う。

同(一)の(3) のうち、被告主張の日付、品目について中沢が裁判所職員に回覧し、薬品の購入をあつせん(但し対外的には能率係において一旦購入)し、職員への配布、代金の回収および業者への代金支払の事務をとつたことは認めるが、その余は争う。右事務は公務員たる中沢が勤務時間内に、公務員たる待遇を受けながら自己の担当する職名を使用して行なつたものであり、右事務の内容も中沢の職務に密接な関連があるばかりでなく、中沢はこれにつき回覧をするにあたり、公の文書と同様の起案をして上司の決裁まで受けているのに、これをもつて、中沢が単に個人の資格でした行為であると主張する被告の見解は、社会通念上、到底是認し難いところである。

同(二)、(三)、(四)の主張は争う。原告らに過失はない。

第五、(証拠関係)〈省略〉

理由

当裁判所は、本件に顕われた一切の資料を仔細に検討した結果、

(1)  被告国の職員たる訴外中沢由光が原告らとの間にした本件取引につき、被告国には、原告ら主張のような表見代理ないし表示責任に基く契約履行の義務があるものとは認め難い。

(2)  しかし右中沢由光は、本件取引によつて原告らに損害を蒙らせたものであり、右は中沢が被告国の事業の執行に付いてした不法行為であると認められるので、被告国は、中沢の使用者として民法七一五条により損害を賠償すべき義務がある、他面、原告らも右損害を蒙つたことについて過失があるから、損害賠償額の算定については右過失を斟酌すべきである、

との結論に到達した。以下、順次その理由を説明する。

第一、(本件取引および中沢由光の職務に関し、――争のない事実)

(1)  原告らが、それぞれその主張の営業を目的とする会社であること、原告らが、その主張の頃、当時東京地方裁判所事務局人事課能率係の係長であつた裁判所事務官訴外中沢由光との間に、それぞれ原告ら主張の数量、金額の物品の納入販売契約を結び、その納入交付をしたこと、右取引による代金中、原告ら主張の額が未だ支払われていないこと、並びに

(2)  前記能率係は、下級裁判所事務処理規則(昭和二三年最高裁判所規則第一六号)に基き設置されたものであつて、東京地方裁判所は、昭和二八年三月以降、中沢由光に、右係の係長として事務の統括をさせ、昭和三六年一一月以降は同地方裁判所新庁舎(本館)七階第七一八号室を能率係の室に充て同所に職員を配置して右事務を執らせて来たものであること、右能率係の職務としては、通達(昭和二九年六月一日最高裁総総第一四四号総務局長事務取扱依命通達)の定めるところにより、東京地裁職員の「(イ)考課に関する事項、(ロ)研修に関する事項、(ハ)保健および元気回復その他能率増進に関する事項」を分掌するものとされていること、

以上の事実については、当事者間に争がない。

第二、(本件取引による被告国の契約履行義務の有無)

一、本件取引について中沢が被告国を代理する権限を有しなかつたことは、現在、原告らも認めるところであるが、原告らは、「本件取引については、被告国は民法一一〇条または一〇九条の表見代理の法理に従い、本件契約を履行すべき義務がある」と主張している。

ところで、原告らが本件取引当時、中沢において被告国を代理して右取引をする権限を有するものと信じていたことは、弁論の全趣旨からこれを窺うに難くないが、後記第四の二記載の説示によれば、原告らが右のように信じたことについては原告らに過失があつたものというべきである。しかして民法一一〇条または一〇九条の表見代理が成立するためには、相手方が無過失であることを要件とするものと解すべきであるから、原告らの右表見代理の主張は、前提を欠き採用に由ないものである。

二、次に原告らは、「東京地方裁判所は、中沢に、同裁判所の名義をもつて、職員の保健、厚生その他能率増進に資する物品を購入することを許諾していたから、被告国は商法二三条の表示責任の法理に従い、本件取引により生じた代金を支払うべき義務がある」旨主張する。

しかし、本件に顕われたすべての資料によるも、東京地方裁判所が中沢に、同裁判所の名義を使用してする物品購入を許諾していた事実は認められない。(嘗て中沢は職員のため医薬品購入方のあつせんをするについて、特に上司の決裁を受けた事実があつたことは後記判示のとおりであるが((後記第三の二の(二)中、(1) (イ)および(2) 参照))、しかし右のような事実があつたからといつて、未だ東京地裁は、中沢に対し、同人が地裁名義を使用して物資の購入をすることまでも許諾したものとはいい難く、そのことは証人鬼沢末松、同岡田昌雄の各証言によれば一層明白である)。そればかりでなく、たとえ原告らが、中沢において右のような許諾を受けているものと信じていたとしても、その点については後記第四の二の説示に照らし、原告らに過失があつたものというべきである。それ故、商法二三条の表示責任に関する原告らの主張も、前提を欠き、採用できない。

三、その他、被告国が本件取引について、右契約を履行すべき義務があると解すべき事由の存在は認められないから、右契約に基き被告に対し本件取引による代金の支払を求める原告らの請求は理由がない。

第三、(民法七一五条による被告の損害賠償責任の有無)

一、(本件取引による中沢由光らの不法行為について)

前記当事者間に争のない事実(前掲第一参照)および証人会田進、同原田徹、同中西匡、同綱川政二、同大畑欣一(第一、二回)、同関良雄、同鬼沢末松、同岡田昌雄、同鈴木末義、同中沢由光(第一ないし第三回)、同早坂孝順、同内田稔の各証言および原告三和繊維代表者笠原喜八尋問の結果によれば、

本件取引は、実は中沢由光らが能率係長たる中沢の職務執行に藉口し、取引名義で原告らから物品の騙取をした不法行為に外ならなかつたものであること、が認められる、すなわち、東京地方裁判所事務局人事課能率係長の地位にあつた中沢由光は、訴外早坂孝順らと意を通じ、当時自己が同裁判所職員の保健及び元気回復その他能率増進に関する事項を扱つていたことを奇貨とし、その地位を利用して、真実はなんら裁判所職員にあつせんする意思もなくいわんや裁判所のために購入する意思も権限もないのにこれあるかのように装い、昭和三七年四月七日頃から同年一〇月上旬頃までの間に、能率係室において、順次原告クラヤ薬品の販売担当員会田進、原告日新薬業の販売担当員海保茂行、原告東京堂の販売担当員原田徹、原告小里薬品の綱川政一、原告愛誠堂の大畑欣一、原告明治屋の外商課第一係長関良雄らに対し、また同年一一月中旬頃原告三和繊維の事務所において、中沢と縁戚関係にあり、かつ中沢を信頼することの厚かつた同原告代表者笠原喜八に対し、それぞれ「地裁の能率係は職員の福利厚生のため薬や食料品等を安く購入し、職員にあつせんしているところであり、自分が能率係長として一切を任されている、ついては貴社と取引したい。取引数量は地裁および管内の支部、簡裁の職員を含めて希望を集めれば相当まとまつた数量になる」旨申し向け、原告らをしてその旨誤信させ、よつて能率係長が原告らから購入する名義のもとに、本件各物品の納入を受けてこれを騙取し、直ちに他に売却処分して原告らをしてその所有権を喪失させ、本件納入物品の代金額に相当する損害を蒙らしめたものであること。

以上のとおり認めることができる。(もつとも証人中沢由光の証言((第三回))によれば、同人は、右納入を受けた医薬品中、その二パーセントないし三パーセント程度のものを、実際に、あつせんの形式で裁判所職員に実費で交付した事実が認められるが、しかし本件取引名義による中沢の行為は、上述のとおり、そもそもはじめから物品騙取の目的で行なつたものであるから、全体として違法性を帯び、法律上その全部につき不法行為が成立することは、いうまでもない)。

二、(本件不法行為に関連する「物資のあつせん」と中沢の職務内容)

(一)  (本件取引における「物資あつせん」の目的)

ところで前記認定によれば、物品騙取の手段としての本件取引は、いずれも能率係長たる中沢が、原告らから購入するという形式でしたものであることが明らかであるが、他面、本件取引は、実質的には左記のとおり東京地裁職員へ「あつせん」するという趣旨で行なわれたことが認められるのである。すなわち、(1) 中沢は、前記認定のとおり、本件取引に先だちそれぞれ原告らに対し、「能率係は職員の福利厚生のため薬や食料品等を職員にあつせんしているところである」旨説明しているのであるし、かつ(2) 右事実と前掲第三の一に掲げた証拠とを総合すれば、原告らはいずれも、(法律上誰が原告らに対する代金支払義務者であるかの点は別として)、経済的には本件取引が職員へのあつせんの目的で行なわれるものであると認識していた事実が認められるのであり、これらの事実と左記(二)記載の中沢の職務内容に関する認定事実を合わせ考えるときは、本件取引は、実質的には、東京地方裁判所職員のために購入の「あつせん」をするということで行なわれたものであると認めることができる。

(二)  (「物資のあつせん」は中沢の職務内容の範囲に属するか)

(1)  前記通達に定められた能率係の分掌事項中に「職員の保健および元気回復その他能率増進に関する事項」が掲げられていることは、前記のとおり当事者間に争がない。ところで民法七一五条の関係において、或る事項が被用者の職務(事業)に属するかどうかは、執務規則等から形式的に判断すべきでなく運営の実情に即して判断すべきである(最高裁昭和三五年六月九日言渡判決、民集一四巻一、三〇四頁参照)。いま、この趣旨を参酌し、前記通達の内容および左記(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)記載の諸事情を総合考察するときは、能率係が東京地裁職員の保健その他能率増進のため、日用医薬品、その他職員の福利厚生に資する物品を職員に有利な条件で購入のあつせんをすることは、少くとも民法七一五条の問題に関する限り、能率係の職務内容の範囲に属するものと解される。このように解すべき基礎となる諸事情は次のとおりである。

(イ) 被告も認めているとおり、当時能率係長であつた中沢由光は昭和三六年七月から昭和三七年六月までの間四回にわたり、自己の上司である東京地裁事務局長、同人事課長らから特に決裁を得たうえ、東京地裁職員のため回覧を用いて薬品購入のあつせんをし、その代金を職員から現金または給与差引の方法で集金し、これを業者に支払う行為をしていた事実があること、

(ロ) 証人中沢由光(第一回)、同岡田昌雄、同本多俊正の各証言によれば、当の中沢由光本人は、右上司の決裁を得た医薬品のあつせん事務を当時能率係の正式の職務であると理解し、勤務時間中、能率係室において、同係の他の職員にも手伝わせて右事務を行なつた事実、並びに中沢は、昭和三七年六月頃、本件の不正取引を行なうについて、共犯者たる前記早坂孝順が調達して来たシヨーケースを能率係室に備え付け、爾来これに職員あつせん用の医薬品、粉末ジユース等を陳列していたが、当時、用務のため一週に一、二回位、能率係室を覗いていた同裁判所の人事課長でさえ、右シヨーケースを裁判所の正式の備品であると思い、かつ中沢が勤務時間中に右薬品類のあつせんをしているのを見ながら、なんら不自然の感を抱いた形跡のなかつた事実が認められること。

(ハ) 他面、戦後一般に社会福祉の思想が普及すると共に、当時の経済事情と相まつて会社銀行等の事業体は競つて職員のための厚生事業や厚生施設の拡充に意を用いるに至り、この風潮は官庁においても遅ればせ乍ら、当然その影響を受けるに至つたことは、顕著な事実であるところ(最高裁昭和三五年一〇月二一日言渡判決、民集一四巻二、六六四頁判文参照)、証人鬼沢末松の証言によれば、昭和三七年当時、東京地裁自体には、職員の福利厚生に多少とも関連のある事務を掌る部局は、能率係のほか、他に存在していなかつた事実が認められること、

(ニ) 右(イ)、(ロ)、(ハ)記載の諸事実と前掲通達の内容および弁論の全趣旨を合わせ考えるときは、前掲(イ)記載の医薬品あつせんについては、東京地裁は、中沢が能率係長の職にあつたからこそ、これを同人に行なわせたものであり、中沢がこのような職にいなかつたならば、右のようなあつせんを行なわせなかつたであろうと推認し得ること、

以上のような諸事情が認められ、これらを総合すれば、日用医薬品、その他職員の福利厚生に資する物資のあつせんは、前記のように、民法七一五条に関する限り、能率係長の職務(事業)の範囲に属していたものと認めるのが相当である(尤も、このような物資のあつせんは、共済組合、その他官庁とは別個の団体をして行なわせるのを適当とする場合が多いであろうけれど、そのことは、未だもつて、能率係が、当時、実際の運営上、右に説示した職務内容を有していた事実を認定することの妨げとなるものとは認められない)。

(2)  ところで、被告国は、「中沢が前記のように上司の決裁を得て医薬品のあつせんをしたのは、単に同人の個人たる資格に基くもので、なんら能率係長の職務とは関係のない私的行為である」旨主張する。

しかし、中沢由光が作成したことについて争のないア甲第一、二、三号証、ウ甲第六号証、成立に争のない乙第一一ないし第一四号証、並びに証人中沢由光(第一、二、三回)、同鬼沢末松、同岡田昌雄、同鈴木辰二の各証言によれば、中沢が右医薬品のあつせんにつき上司の決裁を得た経緯、状況は次のとおりであつたことが認められる。すなわち、

(イ) 能率係長中沢は最初、昭和三六年六月頃最高裁判所診療所の三上所長から紹介があつたのを機として、能率係において、訴外第一製薬株式会社の製品である非市販のビタミン剤の購入方を職員にあつせんすることを企画し、右あつせん行為とそのための文書を職員に回覧することの二点につき上司の承認を受けるため、同裁判所事務局で使用する庁用の起案用紙に「東京地方裁判所事務局人事課能率係」のゴム印を押捺し、「職員あて」「ビタミン剤購入のあつせんについて」と題し、「今般最高裁診療所長の推せんによるビタミン剤を左記により購入方あつせん致します。

なお、本剤は団体用に特製されたもので市販されていません」と表記し、品目代金のほか「申込先事務局人事課(能率係)、俸給日支払も可、」等と記載した文書を自ら起案し、起案者欄および能率係長の欄に自己の印を押した上これを決裁に廻わし、同年七月四日、人事課長、総務課長、事務局長らは右ビタミン剤の購入方あつせんを能率係で行うことは職員の福利厚生のために有益であるとして右文書に決裁を与え、右文書はそのまま総務課文書係においてタイプされ同裁判所職員に回覧されたこと、

(ロ) その後中沢は(a)昭和三六年一〇月一一日感冒薬につき、次いで(b)昭和三七年五月一日殺虫剤につき、また(c)同年六月二八日ビタミン剤につき、それぞれ右と同様の趣旨目的で右同様の形式による文書を起案して上司の決裁を受け、これをタイプした上職員に回覧したこと(但し(b)および(c)の事務局長決裁印は鈴木総務課長の代印であり、(a)および(c)は人事課において自らタイプしたものである)。

(ハ) しかして、右各文書の体裁、決裁、タイプないし回覧の手続は、能率係において職務上作成する通例の文書のそれと同じであること、

以上の事実が認められる。しかして右各事実と前記(1) に判示した当時の実情等を参酌して考察すれば、中沢が上司の決裁を得て医薬品のあつせんをした前記適法な行為自体は、たとえ右決裁をした上司らの内心における主観的意図がどのようなものであつたにせよ、客観的には、能率係長たる中沢の地位と密接不可分な関係にあつたものと認めるの外なく、これをもつて中沢の職務とは無関係な単に同人の個人たる資格に基く私的行為にすぎないという被告の前記主張は採用に由ないものと解する。

三、(本件不法行為は、中沢が「被告の事業の執行に付き」したものといい得るか)

民法七一五条にいわゆる「事業の執行に付き」というのは、外形から判断して、被用者の行為が職務(事業)の執行と認められ、または客観的にこれと密接な牽連関係を有するものと認められる場合を広く指称するのであつて、いやしくも被用者の行為が外形上そのようなものであると認められる以上、たとえ被用者が自己の地位をらん用し、職務執行に名を藉りて不正な行為をした場合であつても、これに該当するものと解すべきである。けだし、仮に、「事業の執行に付き」の意味を狭く解し、同条の適用があるのは、単に被用者が本来の職務を忠実に執行した場合に限られるというような解釈を採つたとすれば、実際においては、不法行為を行うこと自体が被用者の本来の職務内容とされているような事例は通常あり得ないし、たとえそのような事例があつたとしても、その場合の使用者の責任については民法七〇九条、七一九条の規定によつて十分解決するに足り、結局、同法七一五条適用の必要を生ずる場合は事実上存在し得ない結果となるのであり、したがつて、右のように「事業の執行に付き」の意味を狭く解することは、民法が使用者の責任につき、特に七一五条を設けて被害者の保護を図つた法意を没却するもので、到底合理的な解釈と認められないことは明らかだからである。

これを本件についてみるに、(1) 能率係が日用医薬品、その他職員の福利厚生に資する物資を、東京地裁職員のために有利な条件で購入方あつせんをすることは、その職務に属し、他面、中沢らは当時中沢が能率係長であつたその地位を利用し、恰かもその職務を行なうもののように装い、原告らをしてその旨誤信させ、よつて本件取引に名を藉り原告らから本件物資を騙取したものであることは、さきに認定判示したところであり、しかも本件物資は、別表記載の品目によれば、いずれも日用医薬品、その他広義において職員の福利厚生に資する物資であるということができる。そればかりでなく、(2) 前記第三の一に挙示した証拠によれば、本件取引の申込は、能率係室において勤務時間中、他の職員も執務する面前で行なわれ、(但し、原告三和繊維の分は中沢が同原告の店舗に赴いて申込をした)、かつ物品の受渡は能率係室または裁判所構内において、勤務時間中、中沢本人または同人の事実上の補助者たる裁判所職員の検収によつて行なわれたものであり、他方、原告らとしては、右取引の性質が中沢の職務に関係のない個人的なものにすぎないものであれば、到底同人との間にこのような大量の取引をするいわれはなく、本件不法行為は、中沢が東京地裁の能率係長として、前に説示したような職務を担当していたからこそ行なわれ、かつ行なわれ得たものであつて、中沢の能率係長としての職務を離れては本件不法行為の起る可能性は到底考えられないものであることが認められる。

しかしてこのような事実関係の下においては、中沢の内心の主観的意図は別として、外形から判断するときは、社会通念上、本件不法行為は、中沢の能率係長としての職務と客観的に密接な牽連関係があることは明白であり、右不法行為は、前段説示の法解釈に照らし、まさに中沢が被告国の事業を執行するに付いてしたものといわなければならない。

被告は、「本件取引は、中沢が恰かも裁判所のため購入するような形式でしたものであるところ、裁判所が職員に対し有償譲渡の目的で物資を購入するようなことは国の予算制度上あり得ないことであるから、中沢の右行為は、外形上も到底職務の執行とみることを得ない」旨主張する。なるほど本件取引は、能率係長たる中沢が購入名義でしたものであることは前記のとおり当事者間に争がないが、他面、本件取引は実質上職員に購入のあつせんをするということで行なわれたものであることは、さきに説示したとおりである(前掲第三の二の(一)参照)。そして職員のための購入のあつせん行為は、なんら国の予算とは関係なく、実際の需要者の計算において行ない得ることはもちろんであるから、たとえ中沢が右あつせんの方便として一括購入の方式を採り、かつ、購入自体は能率係長の職務権限に属するものとは到底認められないものであるとはいえ、本件不法行為と中沢の職務との間に前段記載のような客観的緊密性が認められる以上、右のような取引の方式に関する問題点は、単に後記のような過失相殺の事由となるだけで、未だこれをもつて、中沢の本件不法行為が、被告国の職務を執行するに付いて行なわれたものと判断することの妨げとするに足りない。以上と見解を異にする被告の主張は採用し難い。(なお後記説示のとおり、原告らは、中沢において本件取引を真実職務執行の意思で行なうものと信じたことにつき過失の責を免れないところ、一部学説のうちには、相手方にこのような過失の存する場合は、原則として民法七一五条の適用がないもののように解している。しかし民法七一五条は被用者が不法行為をした場合に、それと使用者の事業との間に、社会通念に照らし客観的に緊密なつながりがあると認められるとき、使用者にこれが賠償の責任を負担させる趣旨の規定であつて、取引法における表見代理制度のように相手方の正当な信頼を保護する趣旨に出た規定ではないから、たとえ相手方に過失があつても、それだけでは民法七一五条の適用を妨げるものではないと解する。((なお、相手方に過失のある場合に民法七一五条を適用した事例として、大判昭一九、六、一七民集二三巻四七三頁参照)))。

第四、(損害賠償の額について)

一、(原告らの損害)

中沢のした本件取引による代金中、それぞれ原告ら主張の額が未だ支払われていないことは前記のとおり当事者間に争がない(前掲第一の(1) 参照)。それ故、原告らは、本件不法行為によつて、それぞれ自己の未払代金額に相当する損害を蒙つているものということができる。

二、(原告らの過失について)

原告らが本件取引にあたり、これを名実共に中沢の職務行為であると信じていたことは、前記認定から明らかであるが、左記説示に照らすときは、原告らがそのように信じたことについては過失があつたものというべきである。

(一)  (原告ら全部に共通する点)

(1)  およそ官庁のする契約の締結、代金の支払については、法令上、その担当者および方式が明定されているのである。

すなわち、国の機関である官庁としての東京地方裁判所において本件のように国の支出の原因となる物品購入契約(支出負担行為)をするには、財政法、会計法、予算決算及び会計令等の関係法令上、配賦された歳出予算に基き、最高裁判所長官から支出負担行為に関する事務を委任された支出負担行為担当官(本件取引当時効力を有した昭和二二年最高裁判所規程第四号下級裁判所会計事務規程第二条第一〇項、第一一項によれば、当時は東京地方裁判所長または司法行政事務について同裁判所長を代理する職員=代理支出負担行為担当官)がこれをし、原則としてその名義をもつて契約書を作成し、契約の相手方とともにこれに記名押印することを要し、その代金の支払は最高裁判所長官から支出について委任を受けた支出官(前記規程第二条第一〇項、第一一項によれば、当時は東京地方裁判所長または司法行政事務について同裁判所長を代理する職員=代理支出官)の振出す日本銀行を支払人とする小切手をもつて支払われることと定められているのである。

(2)  ところで、本件において能率係長中沢が右の支出負担行為担当官(または代理支出負担行為担当官)でもなく支出官(または代理支出官)でもなかつたことは当裁判所に顕著な事実であり、かつ証人鬼沢末松、同岡田昌雄、同中沢由光(第一、二、三回)の各証言によれば、東京地裁内部において同人が右正規の支出負担行為担当官等から同裁判所のために本件の如き物品購入契約や支出をする権限をなんら委任されていたものでもないことが認められ、要するに中沢は、同裁判所のために物品購入契約をしまたは代金の支払をする権限を全然与えられていなかつたものである。

(3)  元来、原告らが本件のような大量の取引をしようとするにあたつては、相手方となるべき者の権限の有無につき慎重な調査を遂げることは、取引上要請される当然の注意義務であるというべきであり、しかも前記(1) 、(2) の事実と対照して考察するときは、もし原告らが中沢の上司らに就いて確める等、事前に慎重な調査をしていたならば、中沢が職務上、物資の購入および代金の支払をする権限を有しなかつた事実は容易に判明し得たものと認められる。しかるに前掲第三の一に挙示した証拠によれば、原告らが慎重な調査を遂げた形跡はなく、漫然中沢の言を信じ、同人に右権限があると信じ、粗略な契約手続により本件のような大量取引をしたものであることが認められ、原告らには過失があつたものというべきである。

(二)  (原告クラヤ薬品、同日新薬業、同小里薬品、同愛誠堂に関する点)

右原告らが販売名義で納入した物品は、医薬品であるところ、中沢が継続的に多量の医薬品を購入して多数職員に分譲するとすれば、場合により薬事法違反の問題を生ずるおそれなしとしない(薬事法二四条、三七条、八四条五号、八五条一号参照)。しかも右原告らは、いずれも医薬品販売を業とするものであるから、元来、右法規を知悉していなければならぬ筈のものである。したがつてたとえ実際上、一般に会社、官庁その他の団体において従業員の厚生のため医薬品の購入ないし購入方あつせんをしている例が必ずしも稀でないとしても、本件のように中沢が継続的に行なう場合は、同原告らとしては、果してそれが中沢の正式の職務として許されているものであるかどうかにつき、一応疑念を抱き、これを中沢の上司らに対し確めることは、取引の通念と信義則に照らし、同原告らに課せられた注意義務と解すべきところ、同原告らがこのことに思いをいたした形跡は全然認められないから、この点は同原告らの過失を認める一資料になるものというべきである。

(三)  (原告三和繊維、同明治屋に関する点)

同原告らの納入した物品は衣料品ないし食糧品であり、広義においては職員の福利厚生に資する物資であるといい得るが、本件取引の行なわれた昭和三七年当時においては、これら物資は、戦後極端に払底していた頃とは事情を異にし、一般市場に相当豊富に出廻つていたことは当裁判所に顕著な事実である。したがつて当時同原告らとしては、裁判所自体がこれら物資を職員のため大量に購入ないし購入のあつせんをすることの緊急性ないし必要性に一応疑念を抱き、果して中沢が正式の職務として本件取引を行なうものかどうかにつき、慎重に調査すべき取引上の注意義務があつたものというべきところ、同原告らが右注意義務を尽した形跡は認められないから、この点、過失のそしりを免れない。

(四)  (原告東京堂に関する点)

成立に争のない乙第一〇号証、証人諸星光一、同原田徹、同中沢由光(第一、二、三回)、同早坂孝順の各証言によれば次の事実が認められる。

すなわち、原告東京堂は中沢との本件取引に入る前、すでに昭和三七年二月頃から当時東京地方裁判所民事第六部書記官であり、全国司法部職員労働組合(全司法)東京地裁支部厚生部長であつた訴外佐藤純也との間に、全司法東京地裁支部名義で化粧品等の取引を行つていたが、右取引は同組合支部の関知しないもので佐藤が横流しをして自己の利益をはかるために行つていたものであることが、右組合支部の幹部に発覚した。そこで右幹部らは、同年六月頃、厚生部長佐藤を罷免するとともに、同年七月上旬から下旬にかけ原告東京堂の担当者原田徹に対し、電話で数度警告したほか、原田を東京地裁に呼び「佐藤の取引は同人が個人的に不正(品物を横流ししている趣旨)を行つているもので、組合とは無関係である。直ちに取引をやめるように」と厳重に警告をし、その後内容証明郵便によつても警告を発した。しかるに原田は、佐藤から「組合内部の紛争だから心配はない、そんなに自分をとやかくいうなら裁判所自体と取引をしたらよかろう、ちようど化粧品を扱ういい問屋を探している」旨の弁解を受けてこれを信用し、同年七月末同人から能率係長中沢を紹介され(中沢と佐藤はこの間すでに意を通じていた)漫然と前記中沢の言を信じて契約の申込に応じた。かつその際、右原田は、中沢から「以後の注文等は私の補助者として佐藤君にやつてもらう」旨話され、したがつて原告東京堂は、佐藤がすでに組合幹部から不正行為があるとして厳重警告を受けている事実、およびその当の佐藤が能率係の職員でもないのに能率係長名義による本件取引の重要部分を担当するものである事実を知りつつ、なんら中沢や佐藤の権限につき同人らの上司に確かめることなく、引続き本件取引を行なつたもので、いかにも軽卒のそしりを免れず、その過失は原告らのうちでも最も重いものといわねばならない。

(五)  もつとも、本件取引が裁判所という社会的に最も信用の高かるべき官庁の能率係長の名において、他の裁判所職員の補助のもとに行われたこと、本件取引が能率係室その他同裁判所構内を利用して、勤務時間中、他の職員の執務中に行われ、その間原告らからは勿論、何人からも別段怪しまれた形跡がなかつたこと、は前認定のとおりであるが、以上に判示したように原告らに不注意の点があつた各事実と対照すれば、未だこれをもつて、原告らに過失があつた旨の判断を左右するには足りない。

三、よつて当裁判所は、右原告らの過失を斟酌し、被告の原告らに対して賠償すべき額は、原告東京堂を除く各原告らについては、それぞれ、その未払代金額の約三分の二にあたるそれぞれ主文記載の元本額、原告東京堂については、その未払代金額の約三分の一にあたる主文記載の元本額をもつて相当と認める。

第五、(結論)

上来説示のとおりであるから原告らの被告に対する本訴請求は、それぞれ主文掲記の元本額およびそれぞれこれに対する本件不法行為のあつた時の後である主文表示の日から右各金員完済に至るまでそれぞれ民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においては正当としてこれを認容すべく、その余の部分は失当として棄却すべきである。なお原告愛誠堂、同三和繊維、同明治屋の仮執行宣言の申立は、右宣言を付することを相当でないと認め却下することとし、訴訟費用につき民訴八九条、九〇条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 土井王明 外山四郎 荒井史男)

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